政治家でありながら医師
医師の仕事は人々の命や健康を守るのが仕事です。そのため、勤務時間以外にも仕事をしたり、実験や研究を行なったり、非常に忙しい生活を送っています。名医ともなれば全国各地から患者さんが集まり、診察や治療、手術などを行なわなくてはなりません。
先日、娘がおなかにしこりができて摘出手術を行なったのですが、そのときも小児外科という分野の医師が非常に少なく、また、その医師が非常に腕がいいことから近隣の県からも患者さんが集まっていて、「自宅に帰った記憶がない」などと話していました。そのようにただでさえ過酷で忙しい医師ですが、医学のトリビアに名を連ねている医師の中には、医師という肩書きのほかに別な一面を持っている医師がいます。
エガス・モーニスはポルトガルで神経科の医師である。エガス・モーニスは、1930年代に放射能トレーサという機械を使って脳の血管を血管造影法で視覚化することに成功したもののノーベル賞受賞にはいたらなかった。また、1949年には、精神的な病気の治療としてアメリカで当時主流となっていた、大脳の白質を切除する治療法に貢献したとしてノーベル生理医学賞を受賞したが、現在では長期的な研究の結果、重篤な副作用が出ていることと、その治療法に変わる薬ができたことによって今ではその治療はほとんど行なわれていない。彼は政治界にも進出し、1910年のポルトガル共和国樹立に貢献、また、1918年には外務大臣としてパリ平和会議に参加している。政治活動と医師の仕事の傍らで政治や医療に関する書物も多数出版している。
ルドルフ・ルートヴィヒ・カール・フィルヒョー。彼の名の入った医学用語が多数あることからも彼が非常にすばらしい細胞病理学者として病気の研究に熱意を注いでいたことが伺える。疾患は細胞の変異から生まれるという考え方を見出したのがフィルヨーである。また、彼は1869年にドイツ人類学会を創設、精神的に無力な人たちの頭蓋骨で人類学の研究を行なっている。政治家としても業績を残しており、近代的な下水システムの構築に貢献している。1862年には代議士としてプロシア議会に出席している。
このように医師以外の世界にも名を残している医師もたくさんいるのです。